エッセイ日記

【先生の言葉】今でも印象に残っている専門時代の先生の言葉

こんにちは 耳かきってほんと中毒性あるよね あやみです!

 よく、

「学生時代の恩師に頂いた言葉を胸に今を頑張ってます!」

みたいなシーンてよくあるじゃ無いですか。

あれ程のことでは無いのですが、私がデザイン系専門学校に通っていた時のある授業で、とある先生が言っていた言葉がいやに印象に残って、今でもそれを意識して生きてることがあるんですよね。

その授業では各々出された課題に沿った文章をワードで作り、そのデータを先生に送って添削して貰う。と言うものだったんですよね。

課題だし、とりあえず自分の思うクオリティーで作ってそのデータを当たり前のようにただ先生に送る。と言う形だったのですが、そこで先生が。

『課題とは言え、誰かの時間を奪って(消費して)まで見てもらうものなのだから、それを意識した上で作品を作り、また、渡す時も一言(一文)添えて渡すようにした方がいい。』

的なことを仰ってたんですよね。

当時それを聞いた私は。

「いやほんとその通りっ!」

ってめっちゃ思ったんですよね。授業とは言え、誰かの人生という有限の時間を割いてまで触れるに値する作品に出来るかはわからないけど、せめて、それに値する程のものを作ろうという心持ちはそこにあるべきだ、と。

それは学生の頃だけではなく、社会人になってからも。

「誰かに何かを手伝ってもらう。何かに付き合ってもらう、私の作った何かに触れてもらう」

という機会には、その人の人生の一部を私に割いて貰っているのだなぁ、という意識を多少持って行動しております。

それでも、「君と過ごした今日はとても楽しかったよ。君の作品を見れてとてもよかったよ」

と言ってもらえたら、その人の人生の一部をただ削ったのではなく、有意義で有益なものに変えることが出来たんだとしたら、とてつもなくハッピーなことなんだろうな、って思うんですよね。

特に、『お金を頂いて私の作品を提供する』なんて場面なんかは特に、そこを意識します。その人が自分の人生を費やし働き、そこで得たお金を私の作品にお支払い頂いた、となると。少しでもその方が、

「この対価を支払ってもお釣りが来るくらいの作品だった」

と感じて貰えるものであれたらいいな。と、思うのです。

まぁ何と言いますか、何においても誰かに何かを求めるのならば、そこに敬意を持って接するべきで、またその分(いやそれ以上)の何かをお渡し出来る人間であれたら嬉しいし幸せだろうな、と思ったりします。

まだまだ未熟ですが、その思想を忘れることなく過ごしていきたい毎日です。(*´꒳`*)