こんにちは VRゴーグル楽しいけど直ぐに酔う あやみです。
私が小学生だった頃。
凄く欲しいのに
買えないものがありました。
それは決して値段が高いから。
という訳ではなく…。
実は恥ずかしいから。
当時欲しかったそれは、なんてことないアンパンマンのグミ。
幼稚園児の頃それが大好きでよく食べていたのですが、小学校にあがった私は久しぶりに食べたいと思っても。
「あれは幼稚園児が食べるもので
小学生になった私が買いにいくのは
恥ずかしい!」
って思い込み。
買いにいけなかったんです。
しかしある時、当時の私が近所を1人で歩いていると同級生の友人にバッタリと遭遇。
私が友人に「どこに行くの?」と聞くと。
「妹がシャボン玉が欲しいっていうから
買いにいく途中」
とのこと。
その頃の私にとって、シャボン玉だって小さな子が遊ぶもので。ある程度大きくなった自分が買うのは恥ずかしいもの。
という意識があった分。
妹のためとはいえ、1人でシャボン玉を買いにいくという行為の迷いの無さに驚いたんです。
しかし、その時。
という考え方に目からウロコでした。
傍から見れば1人でソレを買っているという事実になんら変わりはないのですが、本人の中で「誰かのため」という思いが一つあるだけで、こんなにも行動に迷いが無くなるものかと。
また、私が高校生の頃。
友達が、とあるお菓子にオマケについてくるシールの絵柄が好きなんだけど、高校生でそのお菓子を買うのは恥ずかしい。
と言っていて。
その日の帰り、私はふと友達のその言葉を思い出しふらっと近くのスーパーへ。
そしてそのお菓子を2つ程買い
次の日学校でその友人にあげました。
好きだけどそれ故に行動に移せなかった友人。
何も思わず抵抗なくサラっと買った私。
その時の私は
という思いの方が遥かに勝って、その行動に一切なんの迷いもありませんでした。
全てがすべて自分のためって思いながら行動するより、やっぱり誰かを思い、その誰かのために取る行動って本当に迷いが無いんですよね。
時々、自分の為の買い物をするよりも、誰かに渡すプレゼントを選んでいる時の方がハツラツとしていることがあります(笑)
誰かの為と思える誰かがいてくれる人生は
きっと色んな力が発揮出来て
しまうんでしょうね(*^_^*)ムフフ