思うこと

【成長?】考え方変わるその瞬間は、タイムトリップの妄想から。

 

こんにちは 雨は嫌いな日と好きな日がある あやみです。

 

 いやはや 皆さんは

『人に物を貸すこと』について。

抵抗ってあったりしますか?

 

まぁ何を貸すか、にもよるとは思うのですが。昔の私は、あまり人に自分のものを貸す。という行為は得意ではありませんでした。

 

人に物を貸すと…。

・中々返ってこなかったり。

・傷や汚れがついたり。

・漫画に折れ目や食べカスついたり…。

 

等々!

上げていったらキリがないですね!!^^;

 

しかしある時。

ふと、思ったんです。

 

 

誰にも貸さない。

丁寧に扱って、綺麗なままを保って本棚に納め続ける。

 

きっとそうすることで私のお気に入りは、いつまでも綺麗でそこに有り続けるのだろうとは思うのですが。

 

果たしてそれは私が死ぬまでそこに有り続けるのだろうか?

 

もし、私がこれから誰かと出会って結婚でもしたとしよう。その場合この漫画達はどうなっていくのか。

それを考えてみたのです。

 

『結婚』

大事な漫画達も一緒にお引っ越し。

しかし大事な漫画は相手にすら貸さないよ!!

 

『子供誕生』

子供の手の届くところにあれば、どうおもちゃにされるか分からないから奥の奥に隠しておくだろう。

『子離れ、晩年期』

漫画達は読まないにしろ、手放すという選択肢が無い私は段ボールにしまったまま放置。

 

そして私が亡くなった後、部屋の片づけをしに子供や孫達が家にやってきて、あれこれと掃除しだし…。

 

 

私があれだけ大事にしていた漫画達。

焼却エンド

 

 

という未来予想図が、一気に頭の中を駆け巡り物凄く虚しい気持ちになったんです。

 

いくら大事にしたところで、それは最後には他の人の手で無価値なものにされてゴミにされてしまうかもしれない…。

 

私が読んであんなにも感動した物が、私の手の中だけに収まって終わってしまうのは

あまりにも勿体ない!!

なら今、その作品が少しでも気になるという人に触れてもらった方が、この作品達もまだ報われるのではないか!?

と。

 

もし、私が誰かにそれを貸すことによって、その人の人生のほんの一部でも動かすことがあったなら、それ以上に価値のあることは無いと思ったり。

 

その結果、最後にはこの漫画がクタクタのボロボロになってしまったとしても。それだけ多くの人の中に何かの感情を生み出すことが出来たなら、それはきっと.

 

「漫画冥利に尽きる」

ってことなんだろう、と。

 

そんなことを思った日から、人に何かものを貸すということにそれ程までに抵抗は無くなった気がします。(貴重なものや本当に大切にしてるものは無理だけどww)

 

最悪ボッロボロのくったくたになったとしても「買い変える」という手段があるので(高いものでなければ)まぁ、そこまで絶望しなくてもいいかな、なんてね(*^^)